願掛けに近いもの
昨年の誕生日、私は私に時計を贈った。
そう決めてから、店に何度も足を運んだ。店の前で怖気付いては踵を返し、勇気を出して足を踏み入れても、静かにショーケースを眺めるばかり。試してみたいと伝えるまでに、随分と時間を要した。
ただ時間を確認するための物だと考えると、iPhoneで事は足り、利便性を考えれば、Apple watchがよいのだろう。
それでも、時計が欲しいと思った。くすぶっていた私を鼓舞したい気持ちが大きかったと思う。ものの持つ力が、私の不足を少しでも埋めてくれるような気がした。高額の買い物になる。そのことが、私に勇気と自信、がんばる理由をくれる気がした。
手に入れる前と、実際に手に入れた後では、人生は変わる。私は、身に纏うもの、所持するもので、少しばかり人は変われることを信じている。今とはまた違う世界へと導いてほしい、憧れに1歩近付きたい、そういった願掛けに近い、祈りがある。
世の中に無数に存在する中から、どの時計にしようという選択は、思いがけず、私の在り方、己との対峙となる。時計やジュエリーは、私を象徴するものにもなる。それを身に着けることで、どんな私になりたいのか。そのアイテムから、私は何を得たいのか。
いくつもの候補の中から、まずはブランドを絞り、そこからアイテムを絞った。
実際に試してみると、意外にもこころときめかないものや、私にはしっくりこないもの、時期尚早だと感じるものなど、さまざまだった。
私は、知的で、芯のある品格があり、たおやかな女性に憧れがある。
最後の決め手となったのは、「お客様には、そちらの時計です。」と断言してくれた店員さんのひとこと。ここまで明確に断言されると気持ちよかった。確かに、とても似合っていた。し、これが、似合うようになりたいと思った。
今週迎えた38歳の誕生日には、手帳を贈った。ジャーナリングをがんばった私に、贈ろうと決めていたもの。37歳の私は、ジャーナリングに救われた。これからも、私に長く寄り添い、積み重ねていけたらと願いを込めて選んだ贈り物。今年1年、いい歳になりますように。







