愛を願う
愛を願う仕事を受けた。
数年前に受けたもので、愛にまつわる願いを14個、書いてほしいとの依頼だった。
ハイジュエラーの銀座本店の新設にあたり、愛するものたちが願い事を記すと、実際にその願いが木に宿るという、テクロノジーを駆使したデジタルインスタレーションをブライダルフロアに設けるとのこと。そのインスタレーションに投影させる願いごとの例文をいくつか作成してほしい、というのが私への依頼だった。依頼主である彼ら自身が日本語ネイティブではないこと、日本人が願うであろう愛にまつわる願いはどのようなものか知りたいとのことだった。
私にとっては願ってもいない依頼、2つ返事で即答した。ちょうど、ことばや文章が仕事になればと願いはじめた時期だった。私の書いたことばが、ハイジュエラーのフロアを彩り、そして人生を共にしたいと願った2人の愛に、私のことばが祝辞になればと、心が躍った。
正直なところ、難しくない仕事だと鷹を括っていた。締切にも余裕があった。
しかし、いざ書きはじめると、愛のことばは、すでに世界中に溢れている。私なぞが思いつくような愛は、すでにどこかの誰かが謳っている。刻一刻と迫る締切に、プレッシャーが募った。
プレッシャーの日々の中、流行りの、そして往年のラブソングを聴き耽った。どんな時代にも、人は愛を探し、愛に喜び、愛に哀しみ、愛とともに生きている。
毎日さまざまなラブソングのプレイリストを探しては聴きながら、訳もなく近所を練り歩いた。耳から入り、こころにまで届くことばとメロディーに、時に抑えきれない涙をぽろぽろこぼしながら歩く。切羽に詰まり、愛など知らぬAIの作成した願いにさえ、心を打たれる始末。
締切まであと数日と迫ったある日、はたと気付いた。これは、生身の人間に尋ねるべきだと。そもそも、独身である私の考えには限界がある。
「愛の願いはなんですか?」
唐突に尋ねられた友人たちは、まず私の顔を怪訝そうに見つめたが、仕事だと説明すると、納得したように少し考え、皆が揃ってこう言った。
「健康でいてほしい、ただそれだけ。」
その回答に、愕然とする。なんとシンプルで、なんと愛ある願いだろう。
表現の差異はあるにせよ、彼らの願いは揃って、ただ健康で、長生きしてほしいというそれだけ。少ない友人のほぼ全てに尋ねて得た回答が、ほぼ全て同じであったことにも、深く感動した。パソコンの画面に映る、難しく捏ねくりまわした愛の願いが、陳腐に思えた。デリートキーを押し、全てを書き換える。
ただ、生きてくれていたらそれでいい。それが、愛だった。














