夢の銀座
田舎の街で育った私は、大人になるまで自分の育った街を嫌い、遠ざけて生きてきた。生家もとっくの昔になくなった。友人もいない。帰る理由は、祖父母の墓があることくらいだ。高いビルや建物も少なく、田んぼが多いというイメージからか、空が広いでしょう。とよく言われるが、私の育った街の空は、なぜだか狭く低く、いつでもどんより曇っていた。当たり前だが、青空の広がる晴れの日だってあるはずなのだが、記憶の中の空は、いつでも見上げると灰色の雲が頭のすぐ上を漂っている気がしていた。
昨年末、帰省して驚いた。変わらず空は狭く低かったが、子どものころにはどこまでも広いと信じていた街が、ミニチュアのように小さかった。とても歩いては行けないと思っていた場所たちが、ほんのわずかの徒歩圏内にあった。広すぎた道が、心配になるほど狭かった。
同じ銀座という名の街で育ったはずなのに、私の育った銀座と東京の銀座はこうも違うものかと驚く。大人になり、多くの場所に銀座と名のつく街があることを知った時も驚いた。自分が育った銀座は好きではないが、東京、そして銀座の街が好きだ。田舎者のコンプレックスゆえの思いかもしれない。最近ではめっきり来京の機会も少なくなったが、余程の予定がない限り日帰りで訪れることに決めている。慣れないホテルでうまく寝付けることができない私にとって、それが1番心地よい。来京が決まると、限られた時間の中で、目一杯東京を楽しむための計画を練る。
先週の来京は完璧だった。朝に打ち合わせを済ませ、その後は私の自由時間。すぐに銀座へと向った。
まずは、『銀座ウエスト』でサンドイッチ。友人との待ち合わせより随分と早くに着いてしまったので、束の間の1人時間を楽しむ。会報誌に目を通す。そして、持ってきていた本を開く。ページを捲る手を留め、少しだけ周りの様子を確認する。ぴしっとアイロンをかけられた真っ白のテーブルクロス、生けられた1本のベビーピンクのラナンキュラス。それぞれのテーブルにつく、銀座にいる人たち。キャメルカラーのワントーンの装いで新聞を読む白髪のマダム、おのおの静かにコーヒーを啜っている年配のご夫婦、おしゃべりに花を咲かせるマダムたち。そういった周りの空気や会話の音を感じながら、1人読書をする時間が1人で過ごす時間の中でもっとも好きな時間かもしれない。そうこうしているうち、友人が到着し、こちらもおしゃべりに花を咲かせた。
せっかく銀座に来たのなら、和光にも必ず寄りたい。和光でのお買い物も、幸福な気持ちで溢れる。昨年購入したティーセットに続き、藤原ヒロミツ氏のマグカップを今回は購入した。ドーバー ストリート マーケットのローズベーカリー、銀座 伊東屋、資生堂パーラー。行きたいところはたくさんある。新しい場所に行きたい気持ちもあるけれど、気に入りの場所に何度も行きたいと思うようになったのは歳のせいか。また次の機会にと、名残惜しい気持ちを抱えて新幹線に乗り込む。きらきらと夜の空を輝かせる街の光が過ぎ去る窓から思う。私の目に映る東京の空は広い。









