わたしに、はなまる
30代に入り、これまでずっと辛かった。
薄暗いトンネルが長く永遠と続いていて、出口が見えず、途方に暮れていた。
いつでもなにかが欠けていた。なにかが足らず、そのなにかが一体なんなのか、さっぱりわからなかった。いつでもなにかに満たされず、果たしてなにがわたしを満たすのか、わたしには、さっぱりわからなかった。
なにかどんよりしたものが、いつでも胸のあたりを覆っていた。街の中を歩いていて、ふと前触れなく、そのどんよりしたものが胸からからだ中へと広がり、このまま人混みの中で前に1歩も進めない、そんな日があった。やっとの思いで冷静さを取り戻したのち、近くの心療内科を探し、ありったけの勇気を振り絞り、電話を掛けた。診察は、最短で2ヶ月後とのことだった。助けてほしいのは今だった。
人生が、長すぎる。そんな不謹慎極まりなく、贅沢すぎる思いを抱くほどに、ほとほとわたしは困り果てていた。
こんな風に書くと、大層に捉えられてしまうのではと思うのだけれど、大小の違いあれ、きっと多くの人にとって、そのような時期が人生で訪れるのではないかと思う。
今年、37歳の夏から冬のはじまりにかけ、遠いトンネルの先にほんの少しの光が見えた。それは、周りにいてくる人たちによって少しずつ導かれ、照らされた光だった。
夏から冬の訪れを感じるまでの数ヶ月、あるできごとをきっかけに、わたしは、わたし自身と向き合うこととなった。向き合わざるを得なかった、といった方が正しい。そのできごとをきっかけに、今年に入りぽつぽつと続けていたジャーナリングを、毎日行うと決めた。
毎朝、5分ほどノートに向かう。友人が昨年の誕生日に贈ってくれたソフィア・コッポラの手帳に、家族が昨年の誕生日に贈ってくれた万年筆で綴っていく。
目が覚めてこころに浮かんだこと、こころ模様、昨日のできごとの中で新たに気が付いたこと。そして、また夜に再びノートに向かう。その日のできごと、感じたこと。最後に、その日うれしかったできごとを3つ書き留め、ノートを閉じる。
はじめたばかりの頃、ノートを開き、机に向かっても、握る筆が一向に進まなかった。なにを書けば良いのかが、さっぱりわからなかった。わたしはいつでも、さっぱりわたしをわかっていない。わからないままに、とにかくなにかしらを書こうとして、本やポットキャスト、youtubeから得た気付きを記し、数日が過ぎた。書ける日もあれば、どうにも書けない日もある。最初はめちゃくちゃだったノートが、だんだんと要領を得、数ヶ月を過ぎたある日、わたしはあることに気が付いた。
わたしは、わたし自身のこの手で、わたしをずっと苦しめていた。
たとえば、これまでのわたしは、すべてをわたし自身の責任と問題として受け取っていた。
身近な人や友人が、一緒にいて楽しくなさそうだとする。要らぬことを言ってしまったか、気に障わることがあったか、あらゆるケースが頭を巡る。仕事のプロジェクトがうまくいかないとする。こちらの進行が悪いか、落ち度はないかと考えが巡る。いつでも、すべてはわたしのせい。責任は、こちらにあるのだと思っていた。相手は相手、わたしはわたし。これまでその境界線をうまく引くことができなかった。
仮に、相手が楽しくなさそうだとして、連日忙しく疲れているのかもしれない、思い悩んでいることがあるのかもしれないと、どうして、思い付くことができなかっただろう。プロジェクトがうまく進まないとして、認めてほしいと悲しむばかりで、どうして、原因ではなく、その先の問題解決に目を向けることができなかっただろう。相手を気遣っているように見せかけた、自己中心的な考え方だ。いつでも矢印を、わたしがわたしに向けてきた。
「他人軸ではなく、自分軸で生きないと。」そんな風に人から言われることが、これまで幾度かあった。幾度かあったが、その言葉の意味をうまく理解することができなかった。言葉として理解はしても、本当の意味での理解ができていなかった。
わたしの中にあるちいさな願いを、叶えてあげようともしなかった。そのひとつに、エッセイストや文筆家として、著書が書店に並ぶいつかの日を夢見ながら、行動に移してあげることができなかった。格好付けで完璧主義のわたしは、人の目ばかりを気にし、失敗を恐れていた。完璧になんて、できないくせに。
それらのすべてが、わたしを苦しめていた。愛されたい、認められたいと願うばかりで、わたしがわたしを愛し、認めていなかった。完璧ではないことを受け入れ、許すこともできてはいなかった。ここまで読み、最近よく聞くご自愛話だと感じる人もいるだろう。わたしは、わたし自身の手で、わたしを満たす術を知らずに生きてきた。これらの気付きはわたしにとって、人生を180度変える気付きであり、もやが少しばかり晴れるきっかけとなった。
わたしは、ジャーナリングと瞑想、朝夜のストレッチをできる限りつづけることで、わたしとのちいさな約束を守ろうとしている。わたしと向き合う時間を作ること、わたしの願いを叶えてあげられること、そのことが、わたしを愛し、認め、ケアして癒し、満たされるのだということを、初めて知った。知った、ということがちいさくも、おおきな1歩だった。わたしが変わると、人生も変わる。まだまだほんの少しだけれど。
1週間を終えた日曜日の夜、わたしは、その週を振り返り、ノートによかったことを羅列する。おおきなこともちいさなことも。今週も、一生懸命に生きたのだと、うれしくなる。そして、大きくはなまるをつける。完璧でなくても、今週もよくできました。
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あの日のあの感触、香り、空気、温度、頭によぎる思い、胸を締め付けるできごと、ざらっとした気持ち、心にじんわりひろがるあたたかさ、守られているぬくもり、暗闇で抱える孤独、変わりゆく、そして変わらないもの、好きなもの、大切にしているもの。
これまでわたしの中だけに留めていたものたちを、撮り溜めては出す宛もない写真たちを、ただ留めておくだけでは気が済まず、だれかの目にも留まってほしいと願ってしまい、あたらしくこの場所を作りました。わたしとの約束を守り、叶えるための場所でもあります。週に1度、更新を続けられたらと思います。
できないこともあるかもしれない。完璧じゃないから。それでも、まずは1つめが公開できたことを、今週のはなまるとして、わたしを褒めたいと思います。もし、これまでのわたしのように、自分にはなまるがつけられない人がいたとしたら、わたしからはなまるを。今週もよくできました。










セアルさんから飛んできました🙂↕️
あおいさんの美しくて情緒のある文章が心地よく、引き込まれました。
きれいな部分だけではない、心の中をさらけ出してくれると私もがんばろう!(という表現が適切かはわかりませんが)勇気がもらえます。
これからも楽しみにしています🤍