縁はむすび目
人間関係というものは、人生という歩みの中で出会いと別れを繰り返す。こと友人と呼べる人間関係においては、そういうものだと半ば諦めそして受け止め、生きている。その考えは昔から変わっていない。
もともと仕事以外で知人や友人と外で食事をすることは少ないが、昼夜問わず、2人以上の集まりには極力顔を出さないと昨年決めた。その場は楽しく過ごすのだが、毎度帰り道には頭の中で反省会を繰り広げ、力を使い果たして充電はゼロ。翌日できれば誰とも話さず、家から1歩も出たくはない。人と会うことで充電される人もいれば、そのことで使い果たす人もいる。私は、完全に後者である。そのことを十分に理解したので、やめることにした。いざやめると、随分と楽になった。断ることが相手にも自分にも負担になりはしないかと最初こそ躊躇したが、意外とあっさりことは進み、わだかまりも残らない。
いつも私はどうして今の仕事を私自身がこれまでずっと続けてこられているのかと不思議に思う。昔は、仕事で携わるたくさんの人が集まるパーティーの翌日、必ず知恵熱を出した。今ではもうそんなことはないけれど、それでも人と会った仕事の夜や翌日には、ベッドの中で布団に包まれたまま1日を終えられたらと願う。
今年に入り、ひさしぶりに幾人かの友人とそれぞれにゆっくりとした時間を過ごした。といっても、せいぜい数時間のことなのだけれど。みな付き合いが長くなってきた。連絡をこまめに取り合うでもなく、互いのこまかな近況を共有しているでもない。ただ、全てを語り知る必要のない人たち。変わらないだろうと信じることのできる人たち。日々移り変わる。その中で、これからもそうあれたらと信じたい人たちがいることに、じんわりと幸せが込み上げる。もし彼女たちと会わなくなったとしても、それはそれで構わない。互いにとって負担になったり、すれ違いが生じたりしているのであれば、そうまでして一緒にいる必要などない。
縁を1本の糸として、それが切れると思うから胸を痛めるが、人との出会いで結び目ができ、その結び目が時にゆるんだり強くなったりほどいたりすると思えばという、そういう文章を読んでから、そのことがとても腑に落ち、心にそう留めている。
日々、流れ続ける。その流れに委ねて生きていたい。時に抗う必要もあるだろが、運命や宿命、それを信じていきていたい。





次回はお茶しような◎